名ばかり検察審査会、検察を審査せずに素人の床屋談義並の抽象論・感情論で小沢論評

「新しい証拠でもあったのか?」
検察審査会による小沢の起訴相当との議決を知ったときに私はそう思いました。


起訴相当としたからには、恐らく検察が見落としていた証拠を検察審査会が指摘しているのだろう。
そして、検察審査会と言うからには、そのような検察の体たらくを審査し、徹底的に糾弾しているものとばかり思っていたのです。


ところが違いました。
起訴相当の理由にはマスゴミの受け売りの抽象論・感情論が並び、起訴に相当するという「法と証拠に基づく根拠」が書かれていません。
素人の集まりだけに、ワイドショーの毒電波に冒された近所の井戸端会議のレベルです。
おまけに検察の決定に関する審査会なのに、検察には文句を言わずに、小沢への罵詈雑言ばかり…。


これでは検察審査会ではなく小沢論評会です。
マスゴミを使って復権を目指す旧体制既得権益集団の思う壺です。


先日の明石市歩道橋事故では、死亡事故ということもあり、遺族への感情への配慮から、検察審査会の二度目の議決により当時の警察署副署長が強制起訴されました。
この場合は当時の警察署副署長にどこまでの責任があったのかというような、単純に「法と証拠」で割り切れる問題ではありませんでした。(個人的には、事故の予測は難しかったとは思いますが)


ですが小沢の問題は、死亡事故と警備統括者のような漠然とした問題とは違います。
書類という証拠と法の問題です。
それが素人により歪められてよいのでしょうか。


しかし、上杉によれば、小沢事務所の方も二度目の起訴相当まで織り込み済みということで、政権交代で甘い汁が吸えなくなってきている抵抗勢力との抗争を長期的に見ているそうです。
また、先日、阿修羅掲示板で『この検察審査会は談合によって、起訴をすることに元から決まっている可能性が非常に高い。100%小沢一郎は無罪だが、検察審査会が起訴すべきだという議決を出す可能性は100%に限りなく近い』との記事も読んでいましたから、今日の議決は事情通の方々にとっては既定路線だったようです。


また、その掲示板の書き込みは、『何か恐ろしいことになっていると感じるが、真実は意外と簡単なことなのではないか。上手いこと税金を掠め取って、優雅な生活を続けたい。何時までも支配者でいたいがために嘘を嘘で繕っているだけなのだ。それにマスコミがグルになって国民を洗脳しているだけである。』とまとめられていましたが、恐らく背景はそのような感じなのでしょうね。


http://groups.google.com/group/asyura_bbs1/browse_thread/thread/d13d1d9b799e8a58/48e040962f224e94?show_docid=48e040962f224e94
検察が小沢だけを狙う理由

その検察委員が素人ゆえ、検察の説明に左右されてしまうことが危惧されているのだ。
今、裁判員制度すらも問題視されている中で、
人民裁判的な要素もあると懸念されているのである。
そんな中で検察リーク(?)による偏向報道が繰り返されれば、
標的となった者は極悪人と錯覚されてしまうのは明らかである。
そんな暴力的な仕掛けがあることは排除すべきだ。

検審が決定を出すとされる前日に凄い本が出版された。
平野貞夫氏による『小沢一郎完全無罪/「特高検察」の犯した7つの大罪』(講談社)である。
内容は極めて濃い。これは参院選に向けて小沢幹事長がある決断をしたことを意味している。
ここには小泉純一郎氏黒幕説が描かれている。
検察が徹底的に調べて不起訴にしたのに、
検審が数週間で「起訴相当」か「不起訴不当」を出した場合、
検察が即起訴すると検察の威信にかかわる。しかし、検察が「不起訴」にすると、
検察は全資料を裁判所が指定した弁護士に渡すことになる。検察はこれを嫌がる。
不正がバレル恐れがあるからである。

われわれがやらないといけないことは、
この検察審査会
談合によって
起訴をすることに元から決まっている可能性が非常に高い。
100%小沢一郎は無罪だが、
検察審査会が起訴すべきだという
議決を出す可能性は100%に限りなく近い。
というか
政治に詳しい人間からすれば
元から起訴するために全てがまわっているのである。
ただ、われわれは、これを阻止すべく
新聞社、検察などに
意見をいうべきである。
この謀略をとめなければならない。

何か恐ろしいことになっていると感じるが、
真実は意外と簡単なことなのではないか。
上手いこと税金を掠め取って、優雅な生活を続けたい。
何時までも支配者でいたいがために嘘を嘘で繕っているだけなのだ。
それにマスコミがグルになって国民を洗脳しているだけである。
気づかない国民がバカなのだと、
ほくそえんでいるのであろう。
また国民以上の政権も作り得ないことも確かである。





(文中敬称略)