上杉対談「捕鯨について」

話は変わりますが、今日の上杉の対談相手はグリーンピースジャパンの方でした。(シー・シェパードではありません)
捕鯨は日本の文化ではない」と言うので調べてみると…。


確かに、現在行われている捕鯨方法は「ノルウェー捕鯨」で、明治からのもの。
伝統的な「古式捕鯨」ではありません。
江戸時代には鎖国政策で大きな船は作れず、南極海まで行けるはずもなく…。
捕鯨や鯨肉食自体が、多くの国で行われていたもので珍しくもなく日本独自の文化でもなし。
縄文時代にもクジラを食べていた」という記述もありましたが、あまり昔の話だと「人間がマンモスを食べていた」と同レベルの、伝統文化とは関係ない話になってしまいます。
正月には雑煮や鏡餅、2月は節分で豆、3月は雛祭りで白酒やひなあられ…などと、伝統文化と食べ物の関連性はありますが、クジラの日やクジラ肉を食べる日は聞いたことがありません。


また、ときどき、ニュース番組で浜に打ち上げられたクジラが出てきます。
あのように漂流・漂着したクジラの利用まで「流鯨」・「寄鯨」として捕鯨に含められていますが、これは能動的に捕まえようとしていたわけではないので、捕鯨とは呼ぶには無理があるのではないでしょうか。


【漂流・漂着したクジラの利用までが、流鯨や寄鯨と呼ばれて捕鯨に分類されている。もちろん、それらのクジラは能動的に捕獲されているわけではない】


【流鯨や寄鯨が鯨肉食の日本文化であれば、浜に打ち上げられたクジラのニュースを見てコンロと鍋を持った人たちが集まるはずだが、現在では救出しようとする人たちが集まってくる。つまり、流鯨や寄鯨の鯨肉食の伝統は一般的な国民には受け継がれておらず、「浜に打ち上げられたクジラは救出するもの」というような、世界的にも普通の感覚が根付いている】


この番組でも、捕鯨が日本文化だと政治家に入れ知恵しているのは水産庁環境省の官僚とかの話が出てきていました。
まさに、「由らしむべし知らしむべからず」の典型例です。
グリーンピースジャパンの見解では、捕鯨が文化と誤解されている理由として、「捕鯨オリンピック世界一という成功体験から、過去の栄光にひきずられ、文化とこじつけられている」と分析されていました。


また、クジラ肉に含まれる水銀の危険性も指摘されていました。


他には、例のシー・シェパードに関しては、「オーストラリアでの新聞やテレビはもとより、日本以外の国ではYouTubeUstreamを通じてシー・シェパードの主張が報道され信じられており、日本が悪者だとされているが、日本の記者クラブメディアはそれを報じない」という話題もありました。
これと同じことはアカデミー賞受賞の反イルカ漁の映画『ザ・コーヴ』でも同じことが言え、配給会社がつかずに日本では放映されないのではないかとも…。


記者クラブ制度でも日本は世界の孤児ですが、反イルカ漁でも「世界の日本に対するネガティブな評価を日本だけが知らない」という状況になっています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/捕鯨問題


(文中敬称略)