終戦記念日〜平和とは、戦争とは〜

46回目の終戦記念日です。
「敗戦した日なのに記念とは何事か!」と書いてあるサイトも見かけましたが、辞書によれば『過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること。「創立五〇周年を―する式典」』ということでありまして、記念日とは何も喜んでお祭りをするような日のことではありません。


この日に平和という言葉を聞くことは珍しくありませんが、実感することはなかなか難しいと思います。


そこで戦前の方々の話が重要になるのですが、それ以外にも、アメリカやロシアや中国などの戦勝国先の大戦後にも戦争や紛争(内紛)を続けていることを思い起こしてみましても、日本という国が戦後、戦争に巻き込まれずに平和国家として発展したことが分かると思います。
比較的最近でも、開戦根拠がデタラメなイラク戦争によりイラク市民に大量の犠牲者が出ることになりましたし、ロシアではグルジア紛争などが起きております。


同じく戦争に勝ったはずの隣国の朝鮮では、大戦終了後のわずか5年後の1950年に、米ソ冷戦の代理戦争が勃発しまして、南北が分断されたままの形で現在まで休戦状態が続いております。
休戦状態とは戦争が終わったことを意味しませんで、戦争が続いている状態です。


日本が稀有なことにも、そのような戦争や紛争に巻き込まれなかった理由は、資源も領土もない島国であったことの他に、やはり平和憲法の存在が大きかったと思います。
日本国憲法は押し付けられたと言われたりもしておりますが、戦後日本の平和の継続への貢献の実績からすると、日本という国にとってこれ程に棚から牡丹餅のような憲法はありませんし、その牡丹餅を返す必要も変える必要もありません。


この平和憲法なくしては、戦後からわずか5年で再び朝鮮戦争の戦火に巻き込まれていた可能性も高く、そうなっていた場合、朝鮮特需による特需景気での復興(これが後の経済高度成長へとつながります)もありませんでした。
その後も、ベトナム戦争や一触即発の冷戦、湾岸戦争イラク戦争などで日本が加害者にも被害者にもならずにこられたのは、現平和憲法のおかげです。


戦争とは何かと申しますと、人を狂気に駆り立てるものらしく、その辺りは旧日本軍の方々が、自らの過ちから目を背けたい気持ちをグッとこらえて証言されておられる内容を御覧になれば分かると思います。
最近の例では、イラク戦争の際にアブグレイブ刑務所で起きた米国女性兵士による虐待の例がありますが、あれをもっとひどくしたものが戦場の現場です。


http://wiredvision.jp/news/200804/2008042521.html
(米国女性兵士が色々と言い訳をしていますが、写真を見れば一目瞭然です。戦争が生む狂気の一端ですが、当然のことながら戦場はもっと悲惨な状況に…)


日本は既に現平和憲法下で自衛隊保有しており、憲法で「戦力を保持しない」とされながらも、憲法解釈により防衛に関しては充分な装備があります。
この平和憲法を変えたり致しますと、現平和憲法下でさえ充分な防衛力を有していられるのに、更なる拡大解釈による際限のない軍備・集団的自衛権の名の下の他国での軍事作戦も可能となり、例えば開戦根拠がウソだったイラク戦争のようなひどい虐殺にさえ日本が加担する恐れが出てくることは確実です。


多くの場合、平和の名の下に戦争は起きます。
終戦記念日のこの日に、平和とは何か、戦争とは何か、いま一度考えてみてはいかがでしょうか。